8月31日 燃料とキノコと笹刈りの巻き!
8月17日は盆休みとあって、第五週の日曜に変更した。
いつもの第3日曜日とは違うので心配していたが、6名の参加者で作業開始となった。
勢力が衰えることをしらない笹を一頻り刈込み消費する刈払い機の燃料も絶え、作業前に慌てて豊地交差点傍のJAガソリンスタンドで混合油10リットル購入、お代は2000円なり。
前回は、1700円でなんと1リットル30円の値上げ、普通のレギュラーでも180円/リットル台するので当然であるが・・・
10リットル缶に補給してから、店員さんに明日から値下がりするのでよろしくと罪のない笑顔で告げられた。
今まさに必要な物であるからと口惜しいのを堪え、「明日をも解らぬこのご時世に先のことなど気にせず」などと言い聞かせ、いそいそと活動場所へと戻った。
当然、作業の支度が遅れた小生は、何やら作業場所で騒がしい皆を横目に準備を済ませ、やっとの思いで作業場所へとたどり着き、騒いでいた理由がわかった。
休憩所に行く途中の階段両横に、白いキノコがカメラの掃除に使う”パフパフ”にた様相で、逆さまに立てられた如く出向かへてくれた。
もう少し奥に入るとさらに立派な傘の開いた親分も見つけた。
昨日の雨で、森の中はあらゆるキノコを発見、ささやかな多種多様さを実感した。
最初に発見したキノコをはじめ、他のキノコにおいても同定できないのが悔しいが、I場氏曰くテングダケの一種とか・・・・・・


作業内容は、いわずと知れた笹刈り作業。
すでに同じ所で三回刈っているところもあり、いい加減何とかならないものかと思うが、勤勉な参加活動者である同士には、申し訳ないのでそれもあまり口にせずじっと我慢の子であった。
外縁の笹などは特に太く長いので、刈るだけでなく後始末も一苦労である。
今一度、笹刈りの良い方法はないものかと考えなければならない。
ここらで、作業内容も含め見直しをしなければならないものかと感慨深い一日であった。

次回は、第3日曜日はお休み!第5日曜日の31日に活動予定!!
表題とは関係ないが、環境関係の講習会があり「里山」について、偉い某大学教授が語っていた。
教授曰くは、日本の多くを占める樹林帯として照葉樹林の説明から入り、そして、里山特に炭の生産として名高い池田炭ができる兵庫県川西市黒川のことを紹介していた。
個人的に、講座の話になんとも違和感があったのは小生だけだろうか。
日本における一般的な植生を学術的に紹介し、また、教授の思い入れからか文化的な見地により特筆して黒川のことを強調したのであろう。
しかし、特に本題である里山を紹介するのに、代表的な里山として産業文化的な価値がある里山を説明すべきなのであろうか。
小生にとって里山とは、どこにでもある田園に隣接して小高い裏山があり、それら牧歌的な景観をなしている風景すべてを総称していえることであろうし、その中の山の部分だけを意味するのも認識している。
そもそも、里山とは化石燃料の使われる前や産業革命が起る前には、誰しもが入山し薪炭材料の調達や棚田や焼畑農業の場であったり、狩猟や山菜の採集地や材木伐採を行ったりと、人々の生業として生活を多岐に渡って支えてきた場所であり、なくてはならない場所であった。
したがって、文化的に認められた高価な池田炭が作られるという、狭い視野で説明し片付けるものではないと思われる。
また、誰もが生活習慣の中で関わってきた場所だけでなく、一方で公益的な機能をもった自然であることが、近年謳われている里山という言葉の意味を正しく位置づけ説くべきではないだろうか!
また、兵庫方式なる里山整備手法でも、繁殖力の強い常緑樹の徹底伐採を提唱していた。
小生も迷わず常緑を伐採する手法をとるが、時にはその里山における希少な常緑や立派な成木となった物についてはあえて残すなど、徹底伐採というのは思想的に過激であるように思う。
今回の講習会で小生の聞き取り理解が拙い点などで、某教授を批判的に思い認識に誤解があれば許して頂きたいのであるが、少なくとも里山については、産業的に高貴な文化価値があろうがなかろうが、本来、どこにもある裏山で誰しもがかかわってきた貴重な資源として、広義な意味で里山の機能を深く理解し、本当の文化資源として保全に努めていくべきではないだろうか。
教授曰くは、日本の多くを占める樹林帯として照葉樹林の説明から入り、そして、里山特に炭の生産として名高い池田炭ができる兵庫県川西市黒川のことを紹介していた。
個人的に、講座の話になんとも違和感があったのは小生だけだろうか。
日本における一般的な植生を学術的に紹介し、また、教授の思い入れからか文化的な見地により特筆して黒川のことを強調したのであろう。
しかし、特に本題である里山を紹介するのに、代表的な里山として産業文化的な価値がある里山を説明すべきなのであろうか。
小生にとって里山とは、どこにでもある田園に隣接して小高い裏山があり、それら牧歌的な景観をなしている風景すべてを総称していえることであろうし、その中の山の部分だけを意味するのも認識している。
そもそも、里山とは化石燃料の使われる前や産業革命が起る前には、誰しもが入山し薪炭材料の調達や棚田や焼畑農業の場であったり、狩猟や山菜の採集地や材木伐採を行ったりと、人々の生業として生活を多岐に渡って支えてきた場所であり、なくてはならない場所であった。
したがって、文化的に認められた高価な池田炭が作られるという、狭い視野で説明し片付けるものではないと思われる。
また、誰もが生活習慣の中で関わってきた場所だけでなく、一方で公益的な機能をもった自然であることが、近年謳われている里山という言葉の意味を正しく位置づけ説くべきではないだろうか!
また、兵庫方式なる里山整備手法でも、繁殖力の強い常緑樹の徹底伐採を提唱していた。
小生も迷わず常緑を伐採する手法をとるが、時にはその里山における希少な常緑や立派な成木となった物についてはあえて残すなど、徹底伐採というのは思想的に過激であるように思う。
今回の講習会で小生の聞き取り理解が拙い点などで、某教授を批判的に思い認識に誤解があれば許して頂きたいのであるが、少なくとも里山については、産業的に高貴な文化価値があろうがなかろうが、本来、どこにもある裏山で誰しもがかかわってきた貴重な資源として、広義な意味で里山の機能を深く理解し、本当の文化資源として保全に努めていくべきではないだろうか。
08.7.20 炎天下の活動日
前日、涼しい海外から帰国したばかりで日本の暑さはこんなものと思いきや、翌日のニュースで所によっては37℃を越える猛暑と知り驚愕していた。
当然、参加者全員暑さに負け、それでも昼休みの後小一時間は作業を根性もので行った。
人類は暑すぎると耐えられないが、鎧をしょった甲虫達はこの暑さが平気なのか機嫌よく盛んに這いずり回っていた。

当然、参加者全員暑さに負け、それでも昼休みの後小一時間は作業を根性もので行った。
人類は暑すぎると耐えられないが、鎧をしょった甲虫達はこの暑さが平気なのか機嫌よく盛んに這いずり回っていた。

2008.6.15 定例活動

本日は、久しぶりに○川ひ○○さんの参加で、お昼にはきゅうりの漬物・冷たいグレープフルーツの差し入れがあり、昨日ぐらいから暑く、喉の潤いと糖分補給にはもってこいの昼食となった。
作業内容はいつもと変わらず、皆黙々と作業を行い、ある者は適当におしゃべりをする等、森の作業はいつもエンジン全開というのではなく、各人が自分達のペースで働きその対価として森の中に包まれ森林浴を満喫する。
樹木医であり林災防の講師をされている方から習ったことの一つとして、森に一番よい肥やしは何かと聞かれた。
答えは、人の足跡という言葉が返ってきた。
人がこまめに山へ入ることが森にとって大切なことと教わった。
その意味は、直接的に整備することはもちろんのことであるが、人が森へこまめに赴くだけでも森にとってプラスになるという意味と理解している。
そいった意味でも、森の中でのおしゃべりも樹木や他の生物にとってはよい刺激となり、目覚めさせられるものがあるのではなかろうか。
我々の地道な活動はもとより、足繁くこの里山へ月1度赴くことだけでも、鬱蒼と成長の止まった森林が自ら芽吹き活性化することを期待してやまないのであった。

近況としては、葉裏にへばり付き、葉と同様に羽から太陽の光を通し寄添いチョメチョメするカノコガ。あるいは、おとなしく樹皮に目立たないように固まったままの毛虫。
おまけに、ウサギの便所や腐生植物のツチアケビも再発見、秋になればアケビに似た形の赤い実がなるなど、これから炎天下の夏を迎え植生がどう変化していくか楽しみである。
開田高原:薪割りツアー

今年も、長野県開田高原「ひゅって くらいす」にて、薪割りツアーに参加。
本ツアー自体は古い歴史があるが、小生が行きだしてから3年になる。
丁度、最初に参加した時期と、もりもり体験隊の立ち上げ時期とが重なり、2006年6月は小生にとって激動の時期であったといえよう。
2006年から最初に参加している、東京都の家族4名プラス友人1名と大阪府の夫婦2名を同期に、全員揃い組にして3年目の薪割りに参加。
ただし、チェーンソー隊の熟練者2名が事情で参加できず、一時はどうなるかと思いきや、
3年目ということで、老若男女問わず皆上級者の働きぶりで、あっという間の薪割りであった。
特に、足立区キッズの中学1年の兄と小学5年の弟君は、大人に負けず一人前の薪割りを披露していた。薪割り隊のリーダーとして将来が楽しみである。
それと「くらいす」のマスコットであるユウト君も1歳8カ月と元気よく歩き回り、最初に来たときはお母さんのお腹の中にいたのだが、いやはや年月が経つのは早いものと実感するのであった。

翌日は、別れを惜しみ次回はチェーンソー隊を含め全員が揃って参加できることを期待しての別れとなった。



